顔と名前しか知りません

タイトルは自戒

タイムマシンはいらない

 

「自分にとってアウェイな舞台だったけど客席に見知った顔があって安心した」

そんなことをブログで推しがお話ししてくださった時、「そっかあ」と思ったのを覚えています。

 

その「そっかあ」には推しに安心感を与えることができる方への羨望や、アウェイでお客さんの反応が想像しにくい環境の中で知っている顔がいればそりゃ安心するよね、という納得感などが含まれますが、それ以上に「もっと早く推しに出会いたかったな」と思いました。

推しの長いキャリアの中で新規の私がリアルタイムで追えている推しって10分の1にも満たないんです。

もっと早く推しに出会っていればあの舞台劇場で見れたかな、タイムマシンがあったら過去に戻れるのにな……そんなことを考えずにはいられませんでした。

 

でもそれって今までの自分と今まで好きだったものを否定することになるなあってふとした時に気づいたんです。

 

推しに出会う前の私はドルオタで、特別に応援している自担がいました。

さらに元々はアニメや漫画が好きな2次元オタクで、「2次元こそ至高」「3次元は裏切る」という謎の信念の元、アイドルや俳優といった若くてかわいくてかっこいい人のことを一切信じていませんでした。どうせ大した努力もせず容姿だけでチヤホヤされているんでしょ?といった偏見でガチガチに凝り固まっていました。

そんな視野の狭い私の目を開かせてくれたのが自担なんですよね。

今でこそ推しのオタクですが、自担のことを嫌いになったわけじゃないし否定したいわけじゃないんです。むしろ私の人生を大きく変えてくれたことに感謝しています。

 

好きだったアニメや漫画、自担、自担グループを通じて出会ってきた人たちがいて、今の私が構成されているからこそ推しを好きになったんだなあって思います。

だからやっぱりあの時、あのタイミング、あの瞬間でないと私は推しに落ちなかった。

 

あと振り返ってみると私は結構推しとすれ違っていたんですよね。

例えば観ようと思っていた映画に出演していたとか、好きだった漫画の舞台化のキャストとか、友人にお勧めされたけど興味が持てず見れなかった舞台とか…ちゃんと推しのことを見たわけではないですが、今思うと私の人生に推しに落ちれるポイントって確実に点在していたなあって思います。

 

それに私は常に「今」の推しが好きです。

 

 

推しを知った2月よりも、初めて劇場で推しを見た4月よりも、主演舞台を全うして駆け抜けた夏よりも、おとといよりも昨日よりも「今」の推しが大好きです。

こうやって好きが私の中で降り積もっていくなら、過去よりも今、今よりも推しの未来の方がずっとずっと楽しみです。

 

 

だから私にはもう過去に戻るためのタイムマシンは必要ありません。