推しはオタクを看取ってくれるわけじゃない
お久しぶりです。
推しの大きな舞台が終わり、季節の変わり目でもあってかなんだか本当に区切りの時期だなあと感じています。
私事ですが(最近の推しのブーム一文)、先日救急車で緊急搬送されることがありました。
今は完全復帰とまではいかずとも普通に過ごせています。
深夜自宅で倒れて、救急車で運ばれながら遠のく意識の中「あ、今ここで死んでも推しには全く関係ない出来事として終わるんだな」って自分が死ぬかもしれない状況なのにハッキリ思ったんですよね。
いやそもそも認知すらされてないし、ここ最近なんてお手紙もまともに出せてないオタクなんて、推しからしたらそもそも知らない存在なんですよ、私って。
すごく目が覚める感覚でした。(実際は遠のいていました)(渾身の身削りギャグ)
自分がオタクをする上で認知を目標にしてたわけでもないんですけど、こんなにも「推しはオタクを看取ってくれるわけじゃない」んだなあて痛感したというか。
だって他人ですもん。
推しとオタクなんて。
私は推しと繋がりたいってよく言うんですけど、それは所謂「繋がり」ではなく、推しの舞台上の姿を見たりブログやインタビューなんかを読んだときに、「ああ、同じ気持ちなんだな」とか「私たち(推しと対オタクの概念として)相思相愛だな」「通じ合えたな」って実感を持って感じることがいとおしくてたまらないというか。
まあ全部私のお花畑なオタク脳の産物なんですけどね。
実際はこんなにも、
こんなにも他人なんだなあ
って。
でもそんなことを痛感すると同時に「今やってる舞台の大千穐楽を見るまでは死ねない」と食いしばりながら無事に生還できたので、オタクはやっぱり馬鹿みたいに推しに生かされてもいるんですよね。
私の人生を彩ってくれるのは間違いなく推しで、活力で、今現状は生きる意味。死ぬかどうかの瀬戸際でみっともなく脳裏に浮かぶくらいは。
推し、世界一大好きな他人でいてくれてありがとう。
「君と永遠(とわ)に」 Starry Sky on Steage 2019.7
#スタスカ舞台
— 松崎史也 (@fumiya326) 2019年7月12日
プロデューサー、舞台美術、映像チームと幾度もの打ち合わせの末実現した
渾身の天体スクリーン。
この作品をやるならと
粘ってくれた各セクションに多謝。
円形も天体も初めてでしたが
皆さんと彼らと一緒に
星空を見上げられて良かったです。
明日からふた巡り目。是非です。 pic.twitter.com/bMCLEAkxAG
無理をしがちなオタクへ 〜「行かない」を選ぶということ〜
こんにちは、ポエマーです。
最近ありがたいことに何件かマシュマロをいただいたのですが、その中に(公開は控えます)「あなたのブログ中学生がノートに書いた落書きみたいなポエム多くない?(意訳)」というものがあり、めっっっちゃわかるって思いました。中学生はまだノートですけど、私の場合インターネットの海に投げ込んでるからもっとたちが悪いです。ご指摘通りだと思います。開設当初から自分でも重々自覚しているところです。
私も考察とか舞台の感想を冷静に書けるオタクになりたかった…。
ですがまあ私のブログなのでこれからも自分の感じた気持ちを大事にしながら書いていくと思います。(こぶしを突き上げる絵文字)
はじめて推しのイベントに行ってきたはなし
*1:全40種
推しと出会って1年(お願い 想いが届くようにね)
あけましておめでとうございます。
鼻をかむように気軽にブログを書きたいと言っていたのに気が付いたら年はあけ、もうすぐバレンタインも終わろうとしています。
私は推しを推しにした日を明確に定めることはできませんが、1年前の今日、初めて推しを認識しました これが出会いというのなら私の人生に推しが現れて今日でまる一年経ったことになります
— たまご (@tamago1223331) February 14, 2019
1年前の今日、初めて推しが出演している作品を映像で鑑賞しました。
この日、私は直感で推しに運命を感じた…わけでも恋いに落ちたわけでもありませんでした。もしかしたら、出演者の中で一番印象が薄かったかもしれません。
この後少しずつ推しに魅了されていくのですがその話はまた別記事にでも書ければと思っています。
推しに出会って、あれだけ出不精だった私が遠征するのが苦にならなくなりました。
推しに会うために劇場に足を運べば、場所を越え、時を越え、今私がいる世界とは違った世界に推しが連れていってくれました。新しい舞台に行く度、推しの手によって私の世界が少しずつ広げられていくみたいでまるでクリスマスの日のこどものようにわくわくしました。今日はなにを見せてくださるんだろう?どんな景色がまってるんだろう?推しは同じ作品でもずっと同じ表現をし続けるわけではなくて、その時の自分や相手のコンディションの違いや想いを受け取って演技を変えてくださって、推しの表現するひとつひとつがその日しかない奇跡みたいなんです。なにひとつとして同じ日はない。毎公演、推しが文字通り魂を込めて演じてくださっているのが伝わります。推しの魂の欠片はキラキラと流星群のように客席の私にまで降り注いで、宝物になるんです。ひとつひとつ、宝石箱にしまってあります。
つい先日、推しの舞台を見に行きました。
日替わりでほんの一節ですが、あるうたを歌ってくれました。
それは私がファンになる前の演目のもので、もう私が生で見る機会はないだろうと思っていた特別なうたでした。
「自分は真ん中に立つ人間ではない」と仰っていた推しが、真ん中に立って歌ったうた。
たまたま私が入った公演でたまたま歌っただけです。たったそれだけです。
それでも、出会って1周年になる私にとっての節目になるこのタイミングでこんなふうに夢が叶うなんて思ってもみなくて、またひとつ大切な大切な宝物を頂いたような気持ちになりました。
きっとこれからも少しずつ推しとの間に想い出ができて、その度に私の宝石箱に仕舞われていくのだと思います。
推し、大好きです。きっともっと大好きになります。
今日からの1年もまたよろしくお願いしますね。
(お願い 想いが届くようにね)
インターネットは魔窟、そして時々楽園
私は古のオタクなのでインターネットのことは基本的に魔窟だと思っています。
顔出しや何気ない日常ツイートで個人情報は容易く特定されてしまうという危機感を植え付けられているし、個人ホームページのTOPには““†ようこそ、貴方は○○番目のお客様†””のカウンターを設置するし、界隈の作法を知るには半年ROMれが合言葉です。
ここにいれば傷つけられることが多いし、自分も気づかないうちに誰かを傷つけてるかもしれない。
よい人もわるい人も、魑魅魍魎も混沌と生存している場所。
私はインターネット上で推しの名前を伏せていますが、それは自分が(一般的に見たら)狂ってるオタクだと自覚しているからです。発言には注意を払っているつもりですが、100%完璧にできているかといえば自信がない。私の不用意な発言で「推しのファンって気持ち悪い人が多いな」というような推しについてマイナスな印象を誰かに与えたくはないし、いきなり他人に殴り掛かられるのもこわいです。インターネットはどこに通り魔が潜んでいるかわかりません。
ただそんなひた隠しにしているわけでもないので、見る人が見たらすぐわかるかもしれないです。検索に引っかからなければ大丈夫かな、くらいのあれです。
あと推しの名前を出すものと出さないもので使い分けるというのも考えたのですが、思考の整理と出力が下手なのでたぶん私にはできないです。
そうして推しの名前を伏せていましたが、先日推しが誰かを察してくれているフォロワーさんから「たまごさんの推しツイを見て、たまごさんの推しへの好感度がうなぎ昇りです」と仰ってもらえてすごくすごく嬉しかったです。私は私の発言で誰かに悪印象を与えてしまう可能性は想定していましたが、そんな風に思ってもらえるなんて考えてもみなかった。こんな粘着質な狂ったオタクのことばでも誰かに推しの好印象をもってもらうことができるのだなぁ…と
インターネットは基本的に魔窟だけど、こうして時々自分にとっての楽園でもあるので、推しのこんなところが良い!あんなところが好き!って臆することなく話せる光のオタクになりたいです。
いつか推しの名前、出せるかな。
コミュニケーションがとても苦手なのでマシュマロで練習します。
よい人でもわるい人でも魑魅魍魎さんでも投げて下さるとうれしいです。
ただし私は人間なので言葉のナイフでグサッとやられると普通に死にます。
タイムマシンはいらない
「自分にとってアウェイな舞台だったけど客席に見知った顔があって安心した」
そんなことをブログで推しがお話ししてくださった時、「そっかあ」と思ったのを覚えています。
その「そっかあ」には推しに安心感を与えることができる方への羨望や、アウェイでお客さんの反応が想像しにくい環境の中で知っている顔がいればそりゃ安心するよね、という納得感などが含まれますが、それ以上に「もっと早く推しに出会いたかったな」と思いました。
推しの長いキャリアの中で新規の私がリアルタイムで追えている推しって10分の1にも満たないんです。
もっと早く推しに出会っていればあの舞台劇場で見れたかな、タイムマシンがあったら過去に戻れるのにな……そんなことを考えずにはいられませんでした。
でもそれって今までの自分と今まで好きだったものを否定することになるなあってふとした時に気づいたんです。
推しに出会う前の私はドルオタで、特別に応援している自担がいました。
さらに元々はアニメや漫画が好きな2次元オタクで、「2次元こそ至高」「3次元は裏切る」という謎の信念の元、アイドルや俳優といった若くてかわいくてかっこいい人のことを一切信じていませんでした。どうせ大した努力もせず容姿だけでチヤホヤされているんでしょ?といった偏見でガチガチに凝り固まっていました。
そんな視野の狭い私の目を開かせてくれたのが自担なんですよね。
今でこそ推しのオタクですが、自担のことを嫌いになったわけじゃないし否定したいわけじゃないんです。むしろ私の人生を大きく変えてくれたことに感謝しています。
好きだったアニメや漫画、自担、自担グループを通じて出会ってきた人たちがいて、今の私が構成されているからこそ推しを好きになったんだなあって思います。
だからやっぱりあの時、あのタイミング、あの瞬間でないと私は推しに落ちなかった。
あと振り返ってみると私は結構推しとすれ違っていたんですよね。
例えば観ようと思っていた映画に出演していたとか、好きだった漫画の舞台化のキャストとか、友人にお勧めされたけど興味が持てず見れなかった舞台とか…ちゃんと推しのことを見たわけではないですが、今思うと私の人生に推しに落ちれるポイントって確実に点在していたなあって思います。
それに私は常に「今」の推しが好きです。
推しを知った2月よりも、初めて劇場で推しを見た4月よりも、主演舞台を全うして駆け抜けた夏よりも、おとといよりも昨日よりも「今」の推しが大好きです。
こうやって好きが私の中で降り積もっていくなら、過去よりも今、今よりも推しの未来の方がずっとずっと楽しみです。
だから私にはもう過去に戻るためのタイムマシンは必要ありません。